赤坂氷川山車について
山車とは、祭のときに人形や花など様々な飾り物をつけて曳き回す屋台のことです。語源は、平安時代の大嘗祭の際に曳かれた標山(しるしやま)に由来します。
神様が降りてこられる場所(依り代)であり、お神輿と同様に神聖な神様の乗り物と考えられています。地域によって呼称や名称が異なり、曳山(ひきやま)・祭屋台(まつりやたい)、単に屋台と呼ばれることもあります。
様々な形を持つ山車ですが、当会が所有する山車の多くは、「江戸型山車」と呼ばれる形式です。江戸型山車の最大の特徴は、徳川将軍の上覧に際し、江戸城門をくぐるために最上部の人形が上下するカラクリを備えていることにあります。つまり、城門をくぐる際に人形をさげ、くぐり抜けた後に人形を上げていたのでした。江戸の祭の華は山車であり、江戸型山車は著名な神社の多くの祭に曳き出されました。
江戸一番の祭は、山王日枝・神田明神の「天下祭(てんかまつり)」ですが、『諸国御祭礼番附』をみると、最盛期の「赤坂氷川祭」はそれに次ぐ規模であったことがわかります。
赤坂氷川神社 拝殿に納められている『祭礼山車行列額絵』には、豪華絢爛な山車13本が悠々と巡行する様子が描かれ、江戸有数の祭であった赤坂氷川祭の様子を現代に伝えております。明治以降、「天下祭」が廃絶すると山車は衰退の一歩をたどります。追い打ちをかけるように関東大震災・東京大空襲が都心部を襲い、徐々にその姿を消してゆくことになったのです。しかし、赤坂氷川神社裏手の倉庫には、奇跡的に山車の一部分が遺されていたのでした。
赤坂氷川神社 拝殿に納められている『祭礼山車行列額絵』には、豪華絢爛な山車13本が悠々と巡行する様子が描かれ、江戸有数の祭であった赤坂氷川祭の様子を現代に伝えております。明治以降、「天下祭」が廃絶すると山車は衰退の一歩をたどります。追い打ちをかけるように関東大震災・東京大空襲が都心部を襲い、徐々にその姿を消してゆくことになったのです。しかし、赤坂氷川神社裏手の倉庫には、奇跡的に山車の一部分が遺されていたのでした。